2009年3月30日

イーテック。

2009/3/28 (土)から正式に始まった、高速道路1000 円定額制。俺も、かれこれ6 年以上?(磐越道に、まだETC ゲートが無かったときから。)使ってるんだけど、その当時のETC の出だしの頃は、今みたいに「イーティーシー」じゃなくって、「イーテック」と呼んでください!みたいな事だったんだよね。でも、やっぱり読みにくいから、俺は「イーティーシー」って呼んでたんだけど、今結局「イーテック」名残も無くなったって事は、みんなもそうだったんだろうね。

俺の初めてのETC と、妻の車に付いてるETC は、ともにライフカードポイントで交換したやつなんだけど、今日たまたまライフカードのページを見ていたら、この流行のあおりを受けてか、ETC 車載機の交換を休止してるみたいだ。

2009年3月26日

ショック。

こう不況だから仕方がないんだが、今日支給された給料明細を見てショックだった。。。約70000 円。バイトでも、もっと稼げるんじゃないだろうか?年末年始が重なって、さらに安くなってるとは言え、ビビった。それにしても、住民税と年金保険料で約54000 円も毎月取られているのは、ボッタクリでは無いのだろうか?

2009年3月23日

仕事帰りに、猪苗代で下ろされて。

昨日、久々に休日出勤をしてきた。もちろん、こんな情勢の中なので給料としてではなく、後日代休として還元されてしなうのだが。。

で、その帰り道、普通に定時で帰って会津若松から高速に乗ったんだが、「猪苗代から先、事故通行止め。」の案内板が光る。有り得ませんね、雪が降っていないとは言え、猪苗代~磐梯熱海の通行止めは鬼門です。案の定、大渋滞。休日の帰りの観光客でごった返す、猪苗代IC と、そこから先の国道49 号線。ひどい目にあった。

で、今日の新聞を見て、改めてイラつくわ。軽い怪我て・・・死んでしまえよ。ったく。

2009年3月18日

合格!楽勝だぜ。

例の技能検定の結果がキター!

本当は、昨日が合格発表日だったので、インターネットで調べて既に知ってたんだが、なんだか信じられなくて喜びを噛み殺してた。もし、発表が間違ってました・・・とかだったら嫌じゃん。

で、今日になって合格通知書が郵送されてきた。ホントに合格したんだなぁと実感。一緒に受けた他の3 人は、1 人が学科のみ合格で、2 人は全く駄目だった模様。。。一緒に全員合格を目指して勉強会をやってただけに、抜け駆けしてしまったようで、申し訳ないような。。。肩身が狭いです。

それにしても、学科は自信があったとは言え、実技が合格しているのは奇跡ですね。逆に言うと、この試験って楽勝ですよ。ホントにマジで、猛勉強というのはしていないつもりなんで、これで受かったってのは、誰でも同じ程度やれば受かるってことですよ。やった事と言えば、試験前日に、ほぼ24 時間、過去問とにらめっこして、覚えまくることのみです。

いやぁー、楽勝ですわ!ハハハハハハHAHAHAHA 。めっちゃ嬉しい。

2009年3月13日

携帯電話を買い換えた。

ちょっと前に、約2 年半ぶりぐらいに、携帯電話を買い換えた。理由は、特に無いと言えば無いし、強いて言えば電池の持ちが悪くなってきたから。それでも、1 日以上は持つからいいんだけど、気分的なものもあって。

替えた機種は、W64SH で、少し前から何の気なしに目をつけてた機種で、惚れた部分は、そのデカイ画面とスライド式。やっぱしスライド式は手触りが気持ちいい。。ストレートタイプのinfobar2 のミドリも最高!だったんだが、さすがにスペックが一昔前なので断念。あと、画面がデカイのはイイね。3.5 インチは存在感抜群です。

で、ちょっと使ってみての感想は、、、最低でした。

まず、電池が持たない。今まで使ってたやつの方が、まだもつわ。余計ないろんな機能が入ってるせいか、すぐ電池を消耗するし、待ち受けの画面がうるさい。天気予報とかニュースとか、別にいらないのにガヤガヤしてるし、そんな無駄な通信してるから電池喰うんだな・・・と、全機能をオフ。

あと、操作感がモッタリしている。ボタンを押してから、画面が切り替わったり反応するまでが遅い。一瞬、ボタンが効いてないのかと思って何回か押すと、一気に訳の分からんメニューに飛んだり、そのままok されて設定が。。。

アプリを途中で中断できない。寝る前にゲームしてて、眠くなったからやめようとしても、終了しかできず、中断ができない。。。途中でメールをしたくても、電話をかけたくても、アプリを終わらせないと何もできないのは酷いです。

画面が大きくて、手触り感がいいから、それだけでこれから使い続けなきゃいけないけど、中身は、とにかく酷い。。。残念な一品だ。

2009年3月4日

会社更生手続きが開始決定。

昨日の、親会社がチャプター11 を申請したのに合わせて、うちの方は会社更生が受理されて、手続きが開始されたようだ。これで、ひとまずは安心して就業できるというものだろうか。

2009年3月3日

日本に影響なし。

人員削減の話に続き、親会社も破綻!と、新聞の記事。この内容について、今朝会社で説明があった。チャプター11 ってのが良く理解できていないが、要は向こうの会社更生法みたいのもので、同じ会社でありながら、それぞれで会社更生のお世話になるということのようだ。アメリカはアメリカ、日本は日本で個別に手続きが進められる?から、別に気にするものでもないとの事のようだ。

2009年2月28日

とある、模型。

知ってる人しか知らない秘密の模型を、この長い冬休み中に作ってみた。 

約4 年半ほど前に、結婚式の 引き出物で、手作りのいろいろな陶器を作った中にも、同じような模型があったんだけど、昨今の最新版を会社のゴミ箱から拾ってきたウレタンボードで作って みた。頼りは、自分の脳内シミュレーションとカッター一本。何気に、かなり時間がかかったけど、いい出来だと思う。色も染めようかと思ったけど、マジック だと色がなじまなくて、輪郭だけ描いた黒線すらも、手で触ると手が黒くなっちゃう始末。。ま、SEM で見たような白黒でもいいんでないかな。

けど、これを会社に持っていくのも邪魔だなぁ・・・あとでこっそり持っていって、こっそり飾っておこうか。

2009年2月25日

人員削減。

例の件に関連した新聞の記事。日本も対象での人員削減・・・と言うことは、いよいよなのか。詳細が分からないので、会社でいろいろ話を聞いてみると、どうやらとりあえず、うちのところは対象に入らないようだ。だけど、会社更生法もあり、これだけ色々と削減されると、無い話でもないような気がする。

どうすれば切られないで済むのか、、、有用な資格を持ってればいいのか。。。

2009年2月12日

主夫というか、紐というか。

昨日知った事が、相変わらず新聞に載っている。この事で、今日久々に出勤してきた。この話の真相を、会社側から話を聞くために。

会社に出勤、久々の職場。直前まで何の仕事をしてたのかすら忘れてしまっている。早速、朝からコミュニケーションミーティングに出席して話を聞いてきたが、要は裁判所管轄の下、これまで同様に事業は継続していくから安心してくれとの事。ま、この手の事は、どこの企業でも言うことだろうけど、俺はそれでひとまず安心したし、やっぱり他人事感が否めない。

ただ、会社更生法を申請したに過ぎず、これが通って初めて、色々と手続きを進めていくようだ。ワークシェアリングもそうだし、副業も正式に許可されたわけだし、休業を含めて勤務時間が短くなり、伴って賃金も安くなる。家族や親戚からも、お前んとこ大丈夫か?と言われるのは目に見えていたし、答えとしては、全然問題ない!だろうと。

いまだ他人事のように感じているのは、うちは奥さんも仕事をしているし、その収入を当てにしているせいもあるのかもね。。。ま、それだけでは正直辛いんだけど、いざとなったら主夫になる覚悟はできてますよ。

2009年2月11日

新聞に載っていた、それを見て知った事実。

今日昼前ごろに、会社から電話があり、明日来れたら来て!との事。何か大事な話で、コミュニケーションミーティングがあるらしい。かれこれ2 ヶ月も休んでいるし、いきなり来週からフルで出勤を始めるには荷が重過ぎる。。。ので、リハビリがてら、明日出勤しようと思う。

と、家に帰ってから、なんとなく新聞を見てみる。。。。と、なにやら怪しげな記事が。どうやら、明日のコミュニケーションミーティングは、これのようですね。なんか、不安というか、ふ~ん・・・って他人事な感じがしてしまうよ。

2009年2月8日

技能検定、学科試験。

こないだの実技試験以来、まだまだ休みは続いているので・・・というより、相変わらずの前日一夜漬けのみで、今日の試験に臨んだ。場所は、郡山のユラックス熱海で、10:30 集合。こないだの試験会場とは違って、逆に今回の場所は、俺にとって近い場所だったので通うの楽!って言うのはどうでもいい。

今回は、過去問題のみを、それなりに結構勉強したつもりなので期待が持てる中、いざ試験。1 時間40 分の試験時間で、○×問題と4 択問題を全50 問なので、正直結構早く終わる。試験開始30 分後以降は、終わった人から自由に帰っていいとの事で、結構な人がさっさと終わって帰っていく。ま、試験会場は同じでも、職種の異なる学科試験を一気にやっているので、バラつきがあって仕方がないのかもしれない。そんな俺も、40 分を過ぎたぐらいで、一通り解き終わったんだが、もったいないから何回も見直して答えを埋めていく。1 時間で帰った。

結果と手応えとしては、かなり出来た!し、試験後に先に出て待っていた会社の同僚と答え合わせをしてみると、80% 以上当たっていそうだ。合格ラインの60/100 点?は余裕でクリアだろうな。ほとんどが、過去問題からの出題で、勉強しといてヨカッター!と思った。

ぁぁー・・・
実技試験も、このぐらい手応えがあったら、合格発表が楽しみなんだけどな。。。どうやら、合格発表は、3/17 (火)らしいです。

2009年1月25日

技能検定、実技試験。

今日は技能検定の試験日だったんですね。試験場所は、塩川にある会津高等技術専門校で、12:30 集合。会社で希望者を取りまとめてたので、半分はノリで申し込んでいた。会社の同僚と4 人で、半導体製品製造(集積回路チップ製造作業)の2 級では無く、一気に1 級に申し込んだ。2 級を受けても、1 級の方が上なわけだし、受験条件にも該当したので、みんなで半分悪ノリで1 級を受けよう!と。

それでも、全員合格を目指して、その中で唯一2 級を持っている人が一人いたので、その人を先生に、仕事の合い間を縫って勉強会をしていた。・・・んだけど、突然の長期休みに入ってしまい、消化不良のままになってしまっていた。あとは各自で勉強するしかないんだけど、テキストとか過去問題とかを少しづつ見ていこうと思いつつも、メンドくてなかなか手がつかず。結局は、試験日前日の一夜漬けのみな感じで、今日の試験に臨んだ。でも、捨て試合ではなく、受かろう!とする気は満々。休みがタップリあったのに、勉強する時間もタップリあったはずなのに、落ちたなんて言ったらどうなるやら。。

この歳になると、勉強なんて、ましてや試験なんてする機会がない。記憶だと、数年前に危険物取扱者の乙4 類を受けて合格した記憶と、その前だと、運転免許で実技に一度落ちたぐらいしかない。。

結果と手応えはと言うと、ややある。自信があるとは言えないが、自分的に全問題の半分弱は分かったつもり。ただ合格ラインの60/100 点?はと言うと、それ以外の問題で運よく当たっている事を祈るしかない。問題の中身としては、テキストなんか見るよりも、過去問題だけ見とけば、かなり答えられたと思う。一応やってはいたが、たかをくくっていた部分もあり、少ししか見ていなかった。。。あと、も少し見とけば・・・と悔やまれる。

次は、2/8 (日)に学科試験が行われるので、それに向けて過去問題をガッツリ勉強!というより、丸暗記で勉強しようと思います。

2009年1月13日

色々な不安が。

休みに休みが重なって、ホントは今日から出勤日のところを、妻の退院介護という事で休んでいた。明日から出勤だなと考えていた矢先、今日出勤していた会社の人から、また連絡があった。

「2/15 (日)まで休み延長。」

いやいや、有り得ないでしょう。何があったか知らんが、そこまで不況ですか。それにしても休み延長しすぎでしょう!というわけで、他の友人にも逆に問い合わせを入れてみるが、やっぱり同じ返答。これでは、2008/12/13 (土)~2009/2/15 (日)まで、通算2 ヶ月以上休みではないか。。。休みといっても会社都合の休業なので、仕事しなくても60% 保障が付いてくるのは嬉しい(のか?)が、それだけ休んでしまった後に出勤なんてできるのか?もう来なくていいなんて言われないのか?とか、いろんな不安が込み上げるわけですよね。

とは言うものの、、、心のどこかでは、ラッキー!めっちゃ休みや!とも思っている。。
さて、これからどうしようか。

2009年1月12日

退院。

今日、妻が退院をした。本当は明日でも良かったし、その予定のために、前々から休みも取っていたんだが、早められることも可能だし、退院後の様子も心配だったので今日のうちに退院して、明日は様子を見ることにしたいと思った。ただ、今日は祝日なので、担当の医師が不在の中での退院となった。

退院って、なかなか立ち会うことも無いけども、あっさりなんだね。もともとの予定で、1/12 (月)午後と決めていたから、朝から帰る準備はしていて、昼飯を今や遅しと待って、喰って、さ~て帰るかっ!みたいに、そのまま出て行くだけ。なんか、ホテルのチェックアウトみたいな手続きとか特に無く、普通に荷物もって出てきただけ。

さて、俺も明日は休みだけど、あさってから1 ヶ月ぶりに出勤だ。

2009年1月10日

退院日程が決まった。

手術以降、順調に回復をしていき、日に日に三分粥、五分粥、七分粥へと口に出来るものがパワーアップしている状況。毎日毎日見舞いに来ているが、妻のママも当初入院と手術に立ち会うだけだったのが、だいぶ延長して滞在していたし、今日は妻の兄貴夫婦も、山形へお出掛けがてら岩手から出て、立ち寄っていった。

今日の昼には、ちょいと自分の昼飯がてらにケンタッキーフライドチキンを買って、そんな妻の前で喰うたったわw。。。恨めしそうな視線が心地いいw。退院予定も、手術後1 週間の1/13 (火)には余裕で退院できそうだとの事だったが、前倒して1/12 (月)でも構わないとの事だったので、そうした。

2009年1月7日

手術後、無事回復中。

昨日の手術以降、順調に回復の兆しを見せている妻。ひとまず段階を追って、今は食事をしてはイケない状態で、昨日以来はじめて口にしていたのは、ほうじ茶だった。それでも、腹腔鏡手術で、お腹に穴を4 ヶ所開けるだけの手術だったので、回復は早いようだ。このまま順調に行けば、術後1 週間で退院できるみたいで安心。

今は、爺さんも亡くなってしまって独りになってしまった(息子夫婦は同居してるが。)婆さんの所に泊まって、そこと妻の見舞いの往復をする日々を繰り返す。家に帰って色々やりたいんだが、家に一人でいるのは、爺さんが出てきそうで怖いから。。。婆さんのとこで寝泊りするしかないんだな。

2009年1月6日

入院完了、無事手術。

昨日予定されていた、寿泉堂病院への奥様の入院が無事済んで、本当は昨日のうちに顔を出したかったんだが、爺さんの葬式もあったことだし、葬式帰りに病院って言うのも縁起が悪いだろうと思ったので、泣く泣く遠慮。で、今日手術なので、朝から面会をしに、うちの親と一緒に病室へ向かった。

麻酔を効きやすくするための点滴を事前にされているらしく、ややボーっとしているようだったが、いたって普通の妻がそこに居た。日を跨いだとは言え、葬式を済ませてすぐに手術を見守るのは、若干胸騒ぎがしなくも無い。ただ、爺さんも見守ってくれ!と願う。少し経って、担架で手術室に運ばれて行くのも見守り、待合室でただただ待つ。

約1 時間で終了との事だったし、俺と俺のママは、結構楽観しながら待っていたんだが、奥さんの親だけは、眼光鋭く手術室をにらみ続ける。相当心配なんだろうな。

1 時間が経過しても妻は出てこない、かれこれ妻の後からも2 人ほど手術室に入っていたんだが、先に入った妻よりも先に2 人とも出てきた。なかなか出てこないし、不安になりながら1 時間半が経過した頃、手術を執刀した先生に呼ばれた。手術は無事成功したとの事で、切除した腫瘍(今回の妻の手術理由は、子宮筋腫ね。)の写真と、手術の方法を事細かに説明された。きっと、昨今の医療ミスに対する回避行動なんだろうと思われるが、確かにあそこまで説明されると、家族としても安心できていいですね。

先生の説明が終わって、しばらく経っても出てこない妻。おかしいなと思いつつも、手術室に入って2 時間半が経過した頃だろうか、やっと出てきた。たぶん意識は無いんだろうなという顔で、辛かったのだろうか、頬に涙が流れた跡が見えた。病室に帰ってからも全く意識を取り戻さない。

病室に戻ってから、1 時間以上経過したかな?って時に、ふと目を開ける妻。まだ意識が朦朧としているんだろうか、定まらない視点と、話かけにも応じる様子が無い。また目をつむり、しばらくしてまた開いてを繰り返していくうちに、だんだん意識もハッキリしてきて、話かけにも答えられるように。ここまでくると安心。

ただ、しきりに腹が痛いことを訴える。看護師を呼んで痛み止めをしてもらい、何とか過ごしつつ、だんだん面会時間の終わりを迎える。奥さんのママは、だまってここに居座ろうかな、心配だから夜通し付き合ってようとか言いながら看護師に訴えるが、やはり病院側としてもプロだし、逆に気を使うとの一悶着がありつつも、なんとか滞在先のホテルへ戻り、俺も家へ帰る。

ま、とにかく無事手術が終わってよかった!

2009年1月5日

休み延長。

去年から続いた長い休みが終わって、いざ今日から出勤するはずだったんだが、今日出勤していた会社の人からの連絡で、休みが延長だという。次の出勤は、来週1/13 (火)との事。ま、もともと今日明日は、奥さんの入院と手術で休む予定だったんだが。それに、1/13 (火)も、奥さんの退院予定日なので、既に休む予定なんだが。。。

お葬式。

昨日から続いた通夜も閉めて、今日は葬儀が行われた。場所は会津斎場で、親戚一同だけでもバスに乗り切れないほど。葬儀会場も、かなり大規模に借り切っていたにも関わらず、来賓の方たちが座りきれなかったようだ。一見、どこかの有名人が亡くなったときのような雰囲気で、600 人以上?集まったとの事。葬儀場の人も、こんな大人数の人を集めたことは例に無く、滞りなく済ませることが出来てよかった!との事だったようだ。ホントに凄い人だったんだ!と誇りに思う爺さんだったよ。火葬場でも、待合室に入りきれないし、骨を集める部屋でも入りきれなくて、ただでさえ年始のラッシュで混んでいる火葬場だったようで、隣の部屋にもはみ出るほどの大人数に囲まれて、爺さんは本当に逝ってしまった。

小さい頃、父方の爺さんの葬式に出た記憶しかないぐらいで、ほぼ初めて葬儀の流れに全部出席したんだが、悲しいものですね。涙よりも笑顔で送りたいと言われても、やっぱり無理なんですね。婆さんが言った、爺さんの体があるうちは悲しかったけど、「骨になっちまうと涙も出ねえ。」という言葉。やっぱり骨というのは抽象的過ぎて、その人の居る雰囲気やオーラや温もりや声や行動や、そこに居るすべてがその人だったんだなと、おれ自身も骨を見ると、それを爺さんと思うことがなかなか出来ず悲しみもかなり消えてしまった。


でも、爺さんのことは忘れないよ。忘れられないよ。