2008年12月30日

人生というものは急なものですね。突然何が起こるかわかりません。

今日の昼ごろ、年末は奥さんの実家で過ごすために、お土産とかを色々買い揃えたりして遊んでいたところ、俺の実家だったりから頻繁に連絡が入った。それに気づかず、しばらくして届いたメールを見てみると、爺さんが倒れたとの連絡。早速電話してみると、心臓が止まって、現在中央病院の集中治療室にいるとの事。

死にそうだから来いとの事で、早速向かった。東京の方にいる従姉妹とかも、急遽呼ばれてくることになったようだ。夕方前には病院に到着するも、相変わらずの様態との事。集中治療室への入室を許可され、マスクと手の消毒を施し、爺さんの眠るベッドへ。

こんなに小さかっただろうか、正直、既に生気の感じられない体がそこに寝ていた。人工呼吸器によって、かろうじて胸が上下して、呼吸をしているように見える、手も体も禿げた頭も、まだ温かい。声もかけられない、ただ手を握って祈る。30 分以上、なにもせず横に立っていた。まだ自分の中で覚悟が決められなかったんだと思う。助かるだろう・・・そう思いつつも、今この瞬間、この状況を忘れてはいけないんだと思った。

心臓が何度か止まって、もし次また自然に止まってしまう事があれば最期だと言う。それでも、既に脳死状態で、このまま生かすか、人工呼吸器を止めて、自然に任せるかを迫られている。別に俺が判断するわけでもなく、長年連れ添った婆さんが決めるしかないんだが、もしそれを自分に問われたときのことを考えると、、、、非常に答えが出せない。

テレビとかで他人のそういう状況を見てると、延命させて、植物状態になってまで家で生かせてどうすんの?現実見て諦めたら?とか思っていたが、いざその状況に置かれると、答えが出せない。正直、もう駄目なんだ、きっと運命なんだな、諦めるしかないんだ・・・と思う気持ちが強かったが、あまりにも急な出来事もあり、気持ちの整理がつかない、今すぐに離れてしまうのは嫌だ!という感情が沸いてくる。

平成20 年12 月30 日火曜日、17 時27 分、永眠。

あまりにも駆け足だった。悲しむ暇も無く逝かれた感じだ。感情的にすがりつく婆さんを直視できない。早速、葬儀の段取りや、家への帰宅の準備が整われる。少し前までは、下手すりゃ泊まりだなとか言われてたのに、今日中の帰宅。。。。うちの親も含む爺さんの子供達と婆さんとに加わって、俺も着替えの付き添いをする。手伝ってくれる病院の人、駆けつけた葬儀屋をみても、慣れた仕事として淡々と"作業"をこなしていく。見てくれとしては、無表情でこなされるのには嫌な気を覚えるが、逆にそれはそれでその方がいいのかもしれないんだな。きっと。

担架に載せられ家へと帰宅。布団に寝かせて、家族親戚が囲み、遺品を置いたり、思い思いの別れが始まる。年末ということで、葬儀屋や火葬場も動けないということで、通夜と葬式は年明けの1/5 (月)にやるそうだ。

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